ラーメン

2024年10月11日

           

 先週、仙台出張の折、お昼少し前に八戸駅の立ち食いそばコーナーで昔ながらのラーメンを食べた。

 650円、煮干の醤油だしSBコショウをかけ、刻んだネギがたくさん入ってメンマと薄切りの脂身の混じったチャーシュー1枚、細いちぢれ麺の懐かしい味だ。

 

 今日は仙台駅に11時半に着いて本町に向かう途中に一風堂のラーメン店の前を通った。結構空いていたので思わず入ってしまった。
 「極白丸元味」のラーメンを頼んだ。器の右にある脂身の混じった大きなチャーシューと左下にある丸い薄切りのチャーシュー5枚が入っている。
 柔らかく茹でてもらったストレート細麺を啜る都度、チャーシューを一緒に口に入れると、最後までチャーシューは付き合ってくれる。
 スープは白く濁っているけど、癖がなく飲みやすい。
 和田とかいう医者が書いている本で歳をとったら、ラーメンは全部食べていいスープも全部飲んでいい。気にする事は無い等と言うことを思い出しながら、でもいくつになっても少しでも元気でいたいと思うと無制限にオーケーと言うわけにはいかず、少しはスープを残してその分後ろめたさを少し軽くした。
 すぐ近くに有名な一蘭も店を出している。さらに以前から天下一ラーメンもある。一蘭は、多くの選択肢があって、様々な味をその人の好みに作り上げていくには、何回も通わなきゃならない。きっとやみつきになるような味を見つけることができるだろうけど、そんなにラーメン店に行く機会は多くない。
そこへ行くと一風堂は選択肢がそんなにないから楽、と言えば楽だ。

 人生でもこんなことあるよね。何かすればもっと良いものを手に入れることができるけど、何かする気持ちにならなかった(あるいは、力不足でできなかった)ために、2番煎じ3番煎じで受けてよしとすることがさ。そんなこと言ったって、もう後戻りもできず、無我夢中であっという間のしゃにむにもがいた人生は過ぎ去ったのだからね。

 そして今は、残りの消化をするだけの、変にもがいて、少しばかりの蓄えを万が一にでも崩すことがないよう、静かにしていなくてはならなく、しかるべき時を心穏やかに待つという余生に入ったのだから。世の中から忘れ去られる世捨ての時期なのさ。

トップへ戻る