上海
上海市は、中華人民共和国の直轄市である。
同国の商業・金融・工業・交通などの中心地。強力な世界都市であり、アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。
2012年6月時点の常住人口は2,400万人を超え、市内総生産は2兆3,560億元(約45兆円)である。中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されている。
アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により、上海は条約港として開港した。これを契機としてイギリスやフランス、アメリカ合衆国などの上海租界が形成され、日本も租界を開き、虹口区は「小東京」と呼ばれた。
1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。
1873年には、日本の岩倉使節団が帰路に上海に立ち寄り、当時の上海の様子を「米欧回覧実記」に記している。
1920年代から1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となった。
上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。
こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭をもたらし、階級闘争的な労働運動が盛んになっていた。
1932年には、上海日本人僧侶襲撃事件などを原因に第一次上海事変が起きた。
1935年には、中山水兵射殺事件や日本人が経営する商店が襲撃される事件が起きた。1937年には、大山中尉殺害事件後に第二次上海事変が勃発した。
1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収したが、1950年代から1960年代にかけては工業都市として発展した。
1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚ましい発展をもたらし、上海市指導部から江沢民、朱鎔基、呉邦国、曽慶紅、黄菊ら中国共産党の政治局常務委員などの指導部を輩出した(上海閥)。
1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって高度経済成長を続け、 2010年には世界189カ国が参加した史上最大の国際博覧会である上海万博を開催して国際都市としての上海は復活を遂げた。
上海市は中国最大の経済都市である。2014年の市内総生産は2兆3,560億元であり、北京市を凌ぎ同国第1位である。
南京条約により開港され、欧米諸国の居留地ができたことで各国の文化を取り入れた影響で、現在でも外灘地区には多くのヨーロッパ風の歴史的建造物が存在している。
対岸には近未来都市の建設が進み、超高層ビルが建ち並んでいる。観光地としても見どころが充実。昔ながらの雰囲気を残す豫園や、グルメスポットの新天地や泰康路も人気である。