老いるショック
江見 康一 (一橋大学名誉教授、武蔵野市シルバー人材センター会長、生存科学研究所理事長)
人生90年時代を迎えた現在、長くなった老後をいかに生きがいをもって暮らすかが問われている。
初めての老いの徴候に気づくのは、人生マラソン・レースの折り返し点である45歳頃で、この時の衝撃が第1次老いるショックである。
その時改めて老後の生活設計が求められるが、それは老後の3段階(初老・中老・高老)に見合ったものでなければならない。すなわち、初老では雇用開拓、中老では年金の支え、高老では医療・介護への依存である。
高齢期を三段階に分ける
「老いるショックは3度来る」
若い人たちを「幼年期」「少年期」「青年期」と3段階に分けるように、お年寄りも55歳から64歳までを「初老期」、65歳から74歳までを「中老期」、75歳以上を「高老期」と、3段階に分ける必要があると提案しました。当時の会社の定年年齢は55歳だったのです。
初老期はまだ元気で働けますから、新しい職場の開拓、雇用の再開発がいちばん大事なことです。
中老期になるとだんだん体が弱ってきますから、重労働から軽労働に変わるとか、あるいは労働時間を短くするということが必要になります。労働時間が減れば所得も減りますから、中老期にとっては公的年金が非常に重要になりますので、中老期の保障としては、公的年金の充実が非常に重要になってきます。
高老期になると、病気がちになり医者通いが増え、あるいは杖をついたり車イスの生活をしたり、人によっては寝たきりになる。このようなときにいちばん大事なのは医療と介護なのです。
初老期の雇用、中老期の年金、高老期の医療・介護。これらを総合的に体系化するのが高齢化社会の社会保障である。そのときに書いたのが右の図です。
「初老期」「中老期」「高老期」にはそれぞれ、「フレッシュオールド」「ミドルオールド」「シニアオールド」と英語で表現しました。私は今、シニアオールドの真っただ中で、老いを非常に楽しんでいる最中です。そして、最近第4段階を付け加えました。第4段階は「超老」、「スーパーオールド」と名づけたのです。私はまだスーパーオールドには行っていませんが、まもなく私の視野の中に入ってきます。
そのときの愕然とした衝撃を、私は「老いるショック」と名づけたのです。
皆さんも「老いるショック」を感じられることがあると思います。
ところが、老いるショックは1回で終わるのではないのです。健康のほうから申しますと、顔や髪の毛に老いの兆候が見えてくるのが第1次老いるショック。病気のほうで申しますと、ガンの中ではいちばん早いのが胃ガン、乳ガン。あるいは骨粗しょう症が早めに出てきます。それから糖尿病、腎臓結石、心不全が出てきて、それから前立腺肥大、すい臓ガン、肺ガン。それから白内障の手術。私の経験からいっても、うまく10年おきぐらいにそういう病気が襲ってくるわけです。最後は、耳が遠くなったので補聴器をつけるとか、あるいは歯ががたがたしてきたので入れ歯を入れるとか、そういったようなことが第3次老いるショックなのです。
「老いるショックは3度来る」というのは、第1次老いるショックが終われば2次が、2次が来たら3次が来るのですよ。その3つの老いるショックを、皆さん、乗り越えようじゃありませんかという呼びかけなのです。
しかし老後生活にとって大切なのは健康問題だけではありません。もちろん健康が第1ですが、老後の備えには、健康の他にも長い老後を暮らすための生活費をちゃんと準備しておかなければいけません。皆さん、長生きはただでできると思ったら大間違い。長旅にはやはり路銀がいるのです。だから長い人生、老後の旅をするためには、それなりのお金、経済の準備をしなければいけません。それを私は「老いるマネー」と呼んでいます。
「老いるショック」と「老いるマネー」は対で出てきた言葉です。石油のオイルショックのときに、オイルマネーという言葉が出てきました。なぜならば、中東産油国に世界中からお金が流れ込み、それがそのときの国際通貨の流れに大きな影響を及ぼして、それをオイルマネーと呼びました。そこで私はすぐそれを老いるに引っかけて、老いるショックと老いるマネーと対で援用をしたわけです。
私は皆さんにこう言っています。「第1次老いるショックを感じたら、すぐに老いるマネーの準備に手をつけてください。
それともう1つは、生きがいの問題です。さっきの堀田さんのお話にもありましたように、やはり夢とかロマンを持って、若い人に負けないような志を持たなければならない。生きがい、ロマン、夢。それを私は「心の張り」という言葉で表しました。なぜ心の張りとしたかというと、3Kということを言いたかったのです。つまり健康(体)、経済(金)、最後の心の張り。素晴らしい老後の生活を送るためにはこの3Kが必要です。この3つが揃ったときに、はじめてその人の老後は充実したものになります。
私はこの3つを合わせて「老後への持参金」と名づけました。
やはり健康は生涯資本です。
よりよき人間関係を培っておくこと。こういうようなお話はあの人に話せばきっと聞いてもらえるといったような心の友というか、本当に信頼できる友を、現役のときからその心構えで培っておかなければならないと思うのです。そういう人間関係はそれこそ一朝一夕にできるわけではありません。都合が悪くなったときにだけ友達になってほしいといっても駄目なので、やはりお互いに苦労し合って、お互いに助け合って、それでやっと本当の意味の人間関係ができるわけですから、そういう人間関係をやはり老後に持ち越すことが大事なのです。
健康と老いるマネー(養老貯蓄)と心の張り。その3つの持参金を持って老後を迎えてくださいというのが私の考えです。老後への持参金という言葉は、自分ながらいい言葉だと思っています。加藤シズエさんと座談会でご一緒したとき、老後への持参金というお話をしたら、「とてもいい言葉ですね」と褒めてもらいました。それ以来、私は、老後への持参金という言葉をしょっちゅう使っているのです。
老後をいかにして過ごすか
要するに長くなった老後を、どのように生かして使うかということによって、その人の人生がまるで変わったものになるのです。堀田さんのお話にもありましたように、人生50年時代の余生を送るというような気持ちで過ごしてはいけないのであって、やはり50代、60代、70代、80代と進むに従って、ものの考え方あるいはライフスタイルを徐々に調整しながら、人生の仕上げをいかに見事に終えるか。結局、老年期というのは人生の仕上げをするときですから、ある意味で、老後の過ごし方は一種の芸術です。いかに自分の人生の最後を全うするか。これにはやはり日頃からの準備、心構えが必要です。年とともにものの考え方、ライフスタイルを変えて、そしてよりよき人生を全うする準備をするということです。
つまり老後といっても、決して一筋の平坦な道ではありません。ところどころに曲がり角があり、山あり谷ありといったことがあります。関所もいくつもあります。第1次老いるショック、第2次老いるショック、第3次老いるショックは1種の関所ですから、その関所をうまく乗り越えて最後のゴールにたどり着かなければなりません。
例えば還暦という言葉があります。それから70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿、それから99歳の白寿。こういったものは、よりよき老後を過ごしていくための一種の目印だと思うのです。還暦になった、さあ、どういうふうに心をうまく切り変えてこれからの生活を営んでいこうかと考える目印が、還暦であり、あるいは古希であり、喜寿であるのだと思うのです。
私は傘寿を超え、現在84歳です。84歳は、傘寿と米寿のちょうど真ん中です。今の私の目的は、何とか米寿まで生き抜きたいということです。そうしたらこの本を読んだ人から、「江見さんは、これを読む限りでは100歳まで大丈夫だよ」と言っていただきました。しかしいきなり100歳と欲張ってはいけません。とりあえず米寿までは長生きしようと思っています。
しかし85歳というのは、やはり1つの区切りだと思うのです。昔から「60の坂、85の壁」という言葉があります。人生50年時代は60の坂に到達するのが目標だったのですが、寿命が伸びたので85の壁という言葉ができたのです。私が大学で教わった先生は、ほとんどみんな85歳になる前に亡くなりました。自分の教わった恩師の年に自分が到達したから、恩師を乗り越えよう。そのためには85の壁を越えなければならないと思っています。
そして85歳になったらどういうことをしようかということを、今、心の中で考えています。まず第1番目、もう外国旅行には行かない。ヨーロッパと日本との10時間の飛行は、エコノミークラスでなくても大変です。私はこの8月にオーストラリアに行くのですが、これを最後に外国旅行はやめる決心をしました。第2番目は、車の運転をやめる。年齢とともにやはり反射神経が鈍ってくるのです。自分は大丈夫だと思っていても、交差点などでパッと人が出てきたときにとっさに対応できないことになります。私の娘も高齢者の事故が多いことを新聞で見て、「お父さん、来年からは車を運転するのをやめてね」と言ってきましたので、その忠告を聞き入れねば、と思っています。
それから第3番目は、惰性で行っているような虚礼はできるだけやめる。例えば年賀状でも、たくさんいただきますが、その相手が誰だか分からないことがあります。私のように55年間も学校の先生をしていると、いつどこで教わったということを書いてくれないと、全然分からないわけです。だからどのように返事を書いていいのか分からない。ただ惰性で行っている虚礼はたくさんあると思うのです。ですから、家族や親族あるいは特定の人を除いては、年賀状は85歳になったらやめると決めています。
それから1年先の契約はしない。証券会社などから、「3年ものの投資信託でいいのが出ていますから、いかがですか」と電話がかかってくるのです。そういうときに私は、「1年先のことは考えません。1年先の契約、予約はいっさいしません」と言って断るわけです。そう言えば相手も納得します。
それから死ぬまでに、自分のためたお金は全部使い切る。こういうことを考えています。一生懸命に働いてお金をためて、それをあの世に持っていけるわけではないでしょう。下手に残すと遺産相続の争いなどが起こるから、自分がためたお金だから自分の人生の楽しみのためにきれいさっぱり全部使い切るのが、本当のお金の使い方ではないでしょうか。葬式の費用ぐらいは残しておきますが、それできれいさっぱり。息を引き取った瞬間に貯蓄残高がゼロになる。これが私の美学です。これを是非実行しようと思っています。
ですから今はもうためる段階ではないわけです。ある段階から、ためる段階から使う段階に切り換えなくてはいけない。それを過去の惰性で、使わない、金を後生大事に持っている、そんな人生なんてつまらないじゃないですか。自分の楽しみのために、人生の充実のために、どんどんお金を使う。皆さん方は、使う段階に来ている方がずいぶんいらっしゃると思うのです。だから大いに自分の人生の充実のためにお金を生かして使うことが大事だと思います。
そういうわけで私は今お金を使う段階に来ていますので、皆さん方が私を町で見かけたらちょっと声をかけていただくと、コーヒー1杯ぐらいはおごりますから、声をかけていただきたいと思います。
要するに「老いるショックは3度来る」というのは、年の進みに応じて自分たちの生き方を変えていきなさい。いつまでも昔の人生50年時代の惰性のままで生きていたのではいけませんということで、この本を書いたわけです。